突然ですが、皆さんはよくメモを取る方ですか?
それとも、記憶力には自信があって、メモをわざわざするまでもない、というタイプでしょうか。
タイトルを見てもらえばわかると思いますが、私はものすごい「メモ魔」です。
かれこれ小学校や中学校時代から、メモ魔としての人生を歩み続けています。
ということで、本記事では、10年以上にも及ぶメモ魔としての歴史を振り返って、私がメモ魔になった理由や、人にバカにされてもメモ魔を辞めない理由について、語っていきます。
私がメモ魔になった理由
正直なところ、気がついたらメモ魔になっていた、というのが、一番の理由です。
学校の授業で先生の話を聞きながら、「あ、これ面白いな」と思ったことをとにかくノートに殴り書きしている学生時代でした。
メモ魔が度を過ぎていたので、板書の原型をとどめていないノートになってしまうことも多々ありました、
それに、先生が板書したことに加えて、先生が話していたことを書きまくるので、普通の手の動かし方では、到底間に合いません。
授業から全てを吸収するために、自然に文字を書くのは速くなりましたが、それでも間に合わないこともありました。
そのため、いつしか「見た目のきれいさより、情報量の多さ」を優先するようになりました。
だから、自分では自分のノートを解読できますが、人には貸せる状況ではありませんでした。
学生時代に養ったメモ魔としての技術は、今大人になってからも、ものすごく役に立っています。
メモ魔であることをバカにされた言葉3選
今でこそ「メモ魔」であることに自信と誇りを持てていますが、これまでには幾度となく「そんなにメモして何の意味がある訳?」(大意)みたいな、色々な言葉をいただいてきました。
そこで、ここでは私がメモ魔であることをバカにされた3つの体験談をお伝えします。
①「メモしたら、安心して忘れてしまうでしょ。だったら、書かない方がいいよ」
これは高校時代の先生の言葉です。この言葉を言われた当時、「確かに先生の言うことも一理あるけど、なんだか腑に落ちないな」と悶々としていました。
あれから、大学に行き、社会人になった今、やっと腑に落ちなかった理由がわかりました。
それは、私は「忘れないために書いている」のではなく、「忘れるために書いている」からです。
これについては後で詳しく述べますね。
②「本当に覚えておくべきことは、メモなんてしなくても覚えていられるでしょ」
これは社会人になってから、かなり年上の先輩に言われた言葉です。こちらも同じく、言われた時には全くもって腑に落ちませんでした。もやもやばかりが心に残り続けていました。
③「オレ、メモする人嫌い」
この言葉は、大学1年のゼミの時に、同じゼミの男子が言った言葉です。これは、私に向けて言った言葉という訳ではなく、ある本を読み感想を話し合うという活動の中で、「メモについて」が話題にあがった時のものです。
まあ、感想としては「ふーん、メモする人嫌いなんだね」程度なのですが、このエピソードの何が面白いかというと、彼がメモを取る人が嫌いであることを、私がメモしてあったということです。
う~ん、私と彼の相性は多分良くないですね・・・。笑
それでも私がメモ魔を辞めない理由
上でも述べたように、メモ魔であることについて、色々な方から色々なことを言われてきました。
私は、割と人に影響されやすいタイプで、人に何か言われるとすぐに気持ちが揺らいでしまうところがあります。
しかし、この「メモ魔である」という点については、誰に何と言われても、しかも10年以上という長期にわたって続けてきました。
こうして私がメモ魔であり続けているのは、「忘れないために書いている」のではなく、「忘れるために書いている」からです。
この言葉は一つ上のところでも書きました。どういうことなのか詳しく書いていきます。
普通「メモをする」というと、大切なこと、重要なこと、忘れてはならないことなどを書いておく人が多いと思います。
それらを書く理由は、もちろん「忘れないため」ですよね。
ですが、私の場合は違います。
これを説明するには、私の特性からお話しないといけなくなってしまうのですが、必要なことなので書いていきます。
私は、いつも頭の中がグルグルと思考でいっぱいになっています。
さっきまで今日の夕飯について考えていたのに、ふと別のものが目に入るとそれについて考え出します。そしてまた、別のものが目に入ったり、思いついたりすると、今度はそのことについて考え出してしまうのです。
今はやりの堀江貴文さんの言葉に乗っかって、「頭の中が多動」と言うこともできると思います。
この特性は、子どもの頃からあったようで、たとえば夏休みの課題に取り組むにしても、私は一つひとつ順番に片付けるのではなく、今やりたいこと、今目に付いたものからやっていくタイプだったようです。
そのせいで、結局何事もやり遂げられず、全てが中途半端というようなことを繰り返してきました。
はまるとものすごく集中するのですが、飽きると全然興味がなくなってしまうので、やり遂げるということが私にとっては何事においても、非常に大変なことだったのです。
私のこの「頭の中が多動」という特性は、今でも顕著に残っています。
だから、この頭の中の多動さをどうにかするために、「まずは書き出してすっきりする」という方法を自然と身につけたのだと思います。
以上、私がメモ魔をやめないのは、忘れるために書いているからだというお話でした。
読んでいただき、ありがとうございました。また次も見に来てね。ぐっばい。