小学生の頃から、ボーイスカウト活動を続けている。
私の所属する団では、一年に一度オーバーナイトハイキングというものがある。
夕方の5時くらいから、深夜1時くらいまで、みんなで歩き続けるのである。
いつも寝ている時間に同い年くらいの友達と一緒に、暗い道をくだらない話をしながら歩くという行動は、なんだかとても特別なことに感じた。
5割くらいは「めんどくさい」という気持ちもあったけれど、今思えば全部含めて懐かしい。
月に照らされた波打ち際が美しかった
半分くらいを歩いたころだっただろうか。私たちは、海岸が見える道を歩いていた。
歩いていた道から見える波の様子がとても美しかった。
月の光に照らされた波が、寄せては帰り、またこちらに来ては帰っていく。
波が寄せては返すそのリズムは、それだけでも十分に美しい。
その上、夜ということもあり、月がその様子を照らしているのだ。
波と月、そして、特別な夜という興奮があいまって、感動はとても大きなものになった。
「きれいだね」「そうだね、きれいだね」
「寒いね」と言ったら「寒いね」と返ってくるあの短歌ばりに、その気持ちを共有しあった。
その時確かに同じ景色を見ていたのだ。
その後で、一緒に歩いていた友達は、「あれ、どうやったら表現できるかな」というようなことを言っていた。
彼女は絵が得意な人だった。
どうやったら、今見ている様子を描けるかということを考えていたらしい。
「絵の具の○○色と○○色で~」みたいなことを話していたと思う 。
それを聞いて、私は驚いた。
自分には、今見た景色を絵で表現するという考えが一切なかったから。
「きれいだね」
その事実を私たちは確かに共有していたのだけれど、その美しさの把握の仕方が全く異なっていた。
私は文章を書くのが好きだから、きっと無意識のうちに、その美しさ を頭の中で文章としてとらえていたと思う。
そうか、全く同じ景色を見ていても、抱いた感情は同じでも、同じ景色を見ているとは限らないんだな、と感じた。
その日のその経験は、今までX軸とY軸しかなかった自分の中に、新たに「Z」という軸を作ってくれたように思う。
「違い」というと、(私の場合は)ぶつかりあったり、すれ違ったりすることが多いようにそれまでは感じていたのだけれど、こういう新たな軸を作ってくれるような「違い」だったら、どんどん経験していきたいと思った。