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ブスっていう言葉がなくなってほしい

※支離滅裂でごめんね。

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ブスっていう方がブスなんだよ?

知ってた?先生に言っちゃうよ?

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なんでさ、ブスって言われる人は、ブスって言われることをおいしいと思わないといけない風潮があるの?

たとえばだけどさ、勉強だって、勉強できる人が必ずしも頭の良い大学に行って、エリートコース歩まないといけない訳ではないよね?

将来何になりたいかわからないんなら、そりゃ勉強しといた方がいいとは思うけどね。

そしたら、いざ何かをやりたい!って思った時の可能性が広がるからね。

要するに、自分がしたいようにすればいい訳じゃん?

なのに、なんでことブスに関することとなると、世間はこうもめんどくさいのか。

確かに、ブスだろうがなんだろうが好きに生きればいいじゃん、って言われればそれまでなんだけど、

「ブスはブスいじりしてもいい」みたいに信じてる人の集団に入ってしまうと、

「お前ブスだからな」とか「どうせ彼氏いないんだろ」とか「胸小さすぎ。どうせAカップなんだろ」とか言われる訳です。(後半はブスいじりとは関係ない。。。)

よく生き延びたね、自分。すごいよ。奇跡だよ。すごいすごいすごい。

色々言われるのには、言われる側が本当にブスかどうかだけでなくて、言ってもいい人扱いされてしまうというのも関係あると思うし、私は自己肯定感低めだからそういう風に思われやすいってのもあるとは思うけど、それはまた別の話。

てか、冷静に考えてなんでただ一緒に働いているだけの人に、顔のことやら、胸のことやら、彼氏の有無やらを詮索されないといけない訳?

それで、うまくかわせないと「コミュ力なさすぎ~」「大人だったら笑って返しなよ」とか言われるのは意味わかんないよね。

「お前ブスだな」って言われて、「あははははは、ブスなんですよ」って返したら、その後もブス扱いされる。

「お前ブスだな」って言われて、ショック受けたり、泣いたり、うまく 返せないと「お前性格までブスなのかよ」って言われる。

なんなんだ、これは……………。

魔女裁判なのか???????????

なんと返しても地獄だ。。。。。。。。

世間一般から見てブスと言われる顔つきだと、ブスとしてふるまわないといけないの????ブスであることを咀嚼して、飲み込んで、腹の中に入れてからじゃないと、人間としてみてもらえないの?

はああああああ、やだなあ。そんな世の中。

そもそも論として、「ブス」っていう風潮を本当になくしたい。

そもそもその基準を消したい。

ブスいじり云々カンヌンだけじゃなくて、この問題に関しては、その基準をなくさないことには解決しようがない。

なぜかというと、ブスいじりというものがある以上、逆にそのブスいじりをうまく使って世間に認められた人とか、その逆境を乗り越えて有名になった人とかがどうしても出てきてしまうから。

そりゃ、そういう人たちだって、最初はブスって言われるの、イヤだったのかもしれないし、でも生きていかなければならないからがんばってそのブスいじりを受け入れてきたのかもしれない。その努力は本当にすごいと思うよ。

だけどね、言っとくけど、その人がブスいじりを受け入れたのはその人の自由なんだ!!!!!!!!!!!!!!!!

それで、自分がブスを受け入れたからって、同じブス系列の人に、自分と同じ振る舞いを求めるな!!!!!!!!

って思うの。

もうさ、だんだん何が言いたいのか自分でもわからなくなったきた。

えっとね、一番言いたいのは、ブスいじりは、連鎖して新たな被害者を産むということ。

「どろぼうは周りの人のことをどろぼうだと疑う」っていうことわざ的なものを聞いたことがある。

自分がどろぼうだから、周りの人のことも疑うの。

これとはちょっと違うかもしれないけれど、今までの人生の中でも、人は自分がした苦労を周囲にも求める、っていうのはあると思う。

たとえば、部活。自分たちがやらされた筋トレを、あんなにイヤだったのに、後輩にもやらせたし、先輩たちからされた部活終わりの呼び出しを後輩にもやった。

他の人はどうかわからないけれど、正直自分は「私も乗り越えたんだから、お前たちも苦しめ」みたいな気持ち、ちょっとあったと思う。

これってさ、ブス云々かんぬんにも当てはまる。

仮に、私がブスいじりを受け入れたとする。

そしたらさ、それでいい立場を手に入れたとしても、もしその後で自分よりブスな人を見たら「うわ、ブスだな」って思ってしまいそうな気がするし、その人がちやほやされていたものなら、「はあ、ブスの分際で」って思ってしまいそうな気がする。

つまり、ブスいじりを受け入れることで、自分自身がブスいじりをする側の風潮にのっかってしまうような気がするのだ。

こうなってくると、もはやブス云々かんぬんの土俵で戦わないっていう選択しかなくなる。

どういう土俵で戦えばいいのかはまだわからないから、これから探していく。

少なくとも、ブスいじりについて私は認めない、っていうことが今日のまとめ。