「なんであの子は学校に来るだけでほめられるの?」
「私は毎日学校に来て、宿題もやって、授業も受けて、それでも先生から怒られるというのに」
「本当は私だって学校なんか来たくないのに、それでもがんばっているんだよ。それに比べてあの子はずるい」
不登校の子に対して、こんな気持ちをもったことはありませんか?
実は今あげたもの、全て私が小中学生の頃実際に感じていたものです。
小中学校を卒業してもうだいぶたちますが、これに似た気持ちは今までにサークルや会社など、様々なところで味わってきました。
それが、最近になってやっと、その頃の自分の本当の気持ちに気付くことができました。
この記事では、「不登校の子が羨ましい」に隠された本当に気持ちについてご紹介します。
なんで学校に来ただけでほめてもらえるの?
ぶっちゃけ「学校に行きたくない」という気持ちは誰でもが一度や二度は味わったことがあるのではないでしょうか。
それを考えれば、学校に来なくてすんでいる子のことが羨ましいのはある意味当然です。
こちとら、宿題に部活、先輩との上下関係に、口うるさい担任教師、いいものだけれど時にうっとうしさもある友人関係など、色々なものと日々向き合っている訳です。
大人からすると「まだまだ子どもじゃん」と思うかもしれませんが、子どもには子どもの苦労があります。
「学校」で生きていくにあたり、みんな色々なものを抱えて生活しているのです。
ですが、どうでしょう。
不登校の子は「学校に来ない」という選択をしたことにより、学校に毎日通っている多くの子どもが抱えているものと向き合わずにすむのです。
つまり、
宿題もやらなくていいし、
部活の悩みもないし、
先輩にこき使われてイヤな思いをすることもないし、
口うるさい担任教師だって関係ないし、
なんなら定期テストだってありません。
これが当時の私からすると、とても羨ましく見えました。
私たちが当たり前にしていることを一切やらず、委員会活動などにも出ず、日直の仕事もしてないし、給食当番の仕事も一度もやらない。
そのくせ、体育大会とかにだけは参加する。
(練習に参加せず、本番だけ飛び入りで参加するのはまじでやめてほしかったです。こっちは勝つために、今いるメンバーで色々作戦考えて、少しでもよくしようと努力してたんですよ。なのに急に当日だけ現れて、30人31脚をその子も含めて一緒にやるとかまじで地獄です。「え?これまでの1ヵ月間なんだったの?」って本気で思いました。当日のみ来るなら、見るだけにしろ。当日出たいなら、練習から来い。申し訳ないけど、この気持ちは中学卒業して10年以上たつ今でも変わっていません。こっちは絆ごっこがやりたいんじゃない。勝つためにやってんだ。「不登校の子が学校に来て、みんなでゴール!」より、今まで汗水たらして練習してきた仲間とだけでいいから本気で勝ちたかったよ。正直、当日その子が試合に参加するってわかった時のテンションの下がり具合まじでやばかった。うわ、もう負け確じゃんって思ったよ。一人の不登校の子のために、他の30人の今までをないがしろにするんだな、って思った。その時の担任割と好きだったけど、その一件はまじでなかったです。あと、「学校に来てない」のはその子本人の責任なんだから、当日来たとしても試合に出させるべきじゃなかったと思うよ、担任がね。)
(この愚痴は止まらなくなっちゃうからそろそろ終わり)
なのに、なぜかその子が学校に来ると、
「よく来たね」
と褒めてもらえるのです。
おいおい・・・おいおい!!!
ってなりませんか?
こちらは当たり前の当たり前にこなしているのに、ほぼほぼほめてもらえない一方で、
不登校の子は「学校に来る」という最低限のことをしただけで称賛してもらえるのがイヤでイヤでたまりませんでした。
(※大人になってみて、不登校という選択には、それなりにリスクがあるのだとわかりました。ですが、当時は全く気づきませんでした)
本音:「私だって学校に行きたくなかった」
私だって本当は学校に行きたくありませんでした。
実は毎日、母に「学校に行きたくない」と夜中まで延々と愚痴っていました。
ですが、返ってくる言葉はいつも「じゃあ行かなくていい!」(半ギレ)で、子どもながらに
「あ。これは行かなくていいって言ってるけど、【行け】って言ってるやつだな」
と理解していました。
不登校の子には家という居場所がある。それに対して・・・
だから毎日いやいや学校には通っていました。
不登校の子は
「学校に自分の居場所はない」
と感じているかもしれませんね。
ですが、不登校になれるということは家には居場所があるのではないでしょうか。
じゃあ、学校にも家にも居場所がない人はどうしたらいいんでしょうか。
私はそうでした。
学校に行きたくないけれど、家にさえも居場所がない。
物理的な場所はあるけれど、「学校に行きたくない」という私の気持ちを受け止めてくれる場所はありませんでした。
そういう背景もあって、「学校に行きたくない」という本人の願いが叶っている不登校の子のことが羨ましくて、羨ましくて仕方がなかったのです。
今でこそ、「羨ましい」という自分の気持ちに正直になれていますが、当時はそういう人への気持ちが怒りや不満として表れてしまっていたのだと思います。
解決策:不登校の子を褒めるなとは言わない。その代わり私のことも褒めて
多分当時の私は「君、いつもがんばっていてえらいね」って誰かにいってほしかったんだと思います。
だって、実際がんばっていたから。
もちろん不登校の子には不登校の子の悩みがある。
その子が学校に来るのはきっと称賛すべき行為でしょう。
でも、じゃあ、他の子のことは褒めなくてよいかといえば、それは違うと思います。
当たり前って思われてることって、当たり前ってことになってるだけで、全然当たり前じゃない。
もっと「当たり前」だと思われてることをみんなで褒め合うようにできればいいのかなと思いました。
学校にきてえらいし、
宿題やってえらい。
授業に参加してるだけでえらいし、
掃除するのもえらい。
そんな風になればいいなと思いました。
追記:不登校の子を褒めるならば、不登校のデメリットをクラスメイトにちゃんと説明すべし
当時私が不登校の子を羨ましいと感じたのは、「不登校のメリット」にばかり目がいっていて、「不登校のデメリット」にまで目がいっていなかったからだと思います。
不登校の子について話す時には、その子限定で話すのではなく、「不登校になるとどんなデメリットがあるか」ということも話すといいと思います。
そうすれば、まじめに学校に来ている子は「ああ、やっぱりまじめに学校には来るべきんんだな」ってわかるようになると思いますよ。
以上、読んでいただきありがとうございました。