ものすごい今更感あるけど、はじまってすぐ見に行ってきました。(2017年夏)
その時に書いた感想が、下書きに眠っていたので、紹介します。
「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか」見てきたよ。
「たられば」のお話でした。
賛否両論あると思うけど、私は好きな映画でした。
一言で言うと、「たられば」のお話です。ああだったらどうだったかな、こうだったらどうだったかな、というのを考えるだけでなく、実際にそうなる話。
面白いのは、「たられば」は一度では済まないと言うこと。
こうなったらいいなー、と思っていた世界になっても、二人はまた新たなことで悩み、また次の世界を生み出します。
これはアニメの世界で現実とはかけ離れた設定だけれど、ものすごく示唆に富んでいると思いました。現実世界でも上手くいかなくて、「ああだったらいいのにな」と思うことは多々あります。時に、自分がやらないこと、できないことを、そのたらればのせいにしてしまうこともあります。
ですが、この映画を見て、たらればは言い出したらキリがないなぁ、と思いました。
映画の二人のように、「もしもの花火」を投げたくなることもあるけれど、現実はそうはいかない。
やり直すことはできても、前に戻ることはできない。だから、私たちはきっと現実を甘んじて受け入れなければならないんだと思います。
たらればの気持ちを持つことは決しておかしなことではない。けれど、そのたらればが叶ったところで、必ずしも望んでいた幸せが手に入る訳ではないということ。このことは、これからも定期的に思い出していきたいと思いました。
ここからは映画の考察にうつります。
なぜモチーフが花火なのか。
花火は夏の風物詩であり、美しいものとして描かれることが多いように思います。
作中で、「花火を横から見ると丸いのか、平べったいのか」という問題が出てきます。
花火本体は変わりません。しかし、その花火をどこから見るかによって、丸いのか平べったいのかが変わってくるのではないか、ということですね。
これは他のことにも言えて、事実は一つしかない。その事実を横から見るか、下から見るか、上から見るか。つまり、どこから見るかによって、事実が変わってきてしまうのではないかと思いました。
結局打ち上げ花火は横から見ると丸いのか、平べったいのか。
これは作中で登場人物たちが何度も口にする問いです。
であるにも関わらず、なんとこの問題の答えは出てきません。
あれだけ多くの人物が繰り返していた問いなのに、答えを書いていないということから、むしろこの問題は「答えを出さないことに意味がある」のではないかと考えられます。
唯一、一番答えに近いなと思ったのは、なずなが言った、「そんなことどっちでもいい。●●君といれれば」というセリフです。
答えがないということ、そして、あれだけ煽っておいて「そんなことどちらでもいい」というなずなの言葉。
以上より、花火が丸いか平べったいか問題の結末は、どうも作った側は提示しておらず見る側に委ねられているように思えてならないのです。
以上の考察より、個人的な意見になりますが、この映画では、答え云々かんぬんや、その場の選択云々かんぬんよりも、
そこで手にしたものを、今持っているものを、「どう正解にしていくのか」が大切なのではないかと思いました。
以上、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の感想 でした。
読んでくれてありがとう。次もまた見に来てね。ぐっばい。